矢野医院-3
登山の前に彼らは 先ず、
水により禊(みそぎ)をし、
お祓いを受けて 身を清めてから山に向かうのです。
いよいよ、
山を登る時は
「六根清浄、六根清浄」と
繰り返し唱えながら登って行 きます。
「六 根(眼・耳・鼻・舌・身・心)が
清められますよう に」と祈るのです。
そして、
身も心もすっかり清浄 にして頂上に達すると、
最後は 御来光(御来迎)といわれる
荘厳な日の出を拝んで登山は終了となります。
日本人は長い間、
神殿の儀式を受けることを
待ち望んでいたのです。
福音
を知らなかった民族で、
これほど神殿を待ち望んでいた民族が他に在ったでしょうか。
いま日本には二つの神殿が在ります。
もうすぐ三 つ目の神殿が建ちます。
福岡に住む私たちは、
かってハワイまで、
そして東京まで行かねば
参入出来ませんでした。
いま、
私たちは毎週神殿に参入し、
奉仕の機会に恵まれています。
確かな権能により、
バプテスマや按手礼が行われ、
イニシアトリが行われ るだけでなく、
エンダウメントという
より大きな儀式に於いて救いの計画について、
より深く学び聖約を交わす機会に恵まれています。
個人的な啓示を受ける機会にも恵まれます。
最後は日の栄えの部屋に至ってこの儀式は終了します。
さらに結び固めの儀式も受ける機会に恵まれているのです。
かって私たちの先祖たちが待ち望んだ神殿の儀式を、
いま、
より確かな権能による儀式を通して、
豊かな祝福を享受している
幸せを感謝せずにおれません。
私共は、
三年前に31才の三男を病気のため霊界に送りましたが、
福音は、
そして神殿の存在は、大きな慰めでした。
一年後に長男が身代わりとなり、
私が神殿会長会の助けにより
イニシアトリを施すことが出来、
身代わりのエンダ ウメントも済ますことが出来ました。
十日ほど経って、
三男が私の夢に現れ、
「伝道に 携わることになるようなので、
もう今までの様には会いに来れないと思う」と言うのです。
その姿は、
それは晴れ晴れとしたもので、嬉しそうでした。
これを最後に、
三男は夢にも現れ なくなりました。
神殿に参入すると、
私は日の栄えの部屋で祈った後、
三男に一方的に語りかけるのが常になりました。
このことが楽しみにもなりました。
語りかけるのは、
どこでも出来ることですが、
やはり私には神殿の中が、
三男の居る場所に一番近いと思われるのです。
「先月、
お父さんの幼な友達が、
72歳で東京からそちらへ行ったよ、
訪ねてみ て」とか
「趣味仲間だったNさんが、
最近ガンでそ ちらへ行ったよ、
よろしくね」などという呼びかけが、
最近多くなっているのは、
淋しいことではありますが、
亡き友に対して少し息子を誇らしくも思う のです。
神殿は清められ、
教えを受け、力を授けられる所です。
夫婦が永遠に向かって歩み始める所です。
先祖と結び固められ、
先祖への思いを深める所 です。
愛する死者と会話 出来る所です。
奉仕により愛を身につける所です。
このことを証します。
「さあ、我々は主の山に登ろう。
かれはその道を我々に教えられる。
われわれは その道に歩もう」
(イザヤ 2:3)。
イエス・キリストの御名により。
アー メン。
michio😀
この言葉は イニシャトリ の とき
エンダウメント
帳 の 前にて も
私たちは 神 の 祝福 を 授かります
0コメント