矢野医院
読むクス リ : 矢野医院 No-1
(今回は、いずれもひとむかし前の実話であ る・宣教師に感謝)
1:「モルモン経」 (長崎支部初期)
・ある求道者
「モルモン経は不思議な書物ですね」
・矢野支部長
「そうですよ。あなたは、どのあたりを読んでそれを感じましたか?」
・求道者
「いえ、読まずにしばらくほーって置くとカビが生えるんです」
(その頃の「モルモン経」の表紙は厚紙に黒のコーティングがなされていた)
2:お布施 (福岡支部時代)
・宣教師が
ある仏教徒のおばあちゃんの家で訪問伝道をした。
よいお話しをして 「モルモン経」を差し上げて帰ろうとすると、
・おばあちゃん
「ちょっと待って下さい」と言うと
「お布施」と書かれた包みを持って来て差し出した。
・宣教師は
もちろん丁重に辞退した。
・おばあちゃん
は つぶやいた。
お説教を聴いた上にお経の本までいただいて、
だまって帰すわけにはいかんと思って・・・。
3、ステーキの大会?
(ワードになって間もない福岡ワード 時代)
・以前はステークをステーキと訳されていた。
宣教師よりステーキ大会に誘われた ある求道者は、
てっきりステーキを食べる会だと思って参加した。
あとで、間違いと分かったが、
体裁が悪いので何事もなかったような顔で
宣教師にその後も従い レッスン を受け,
改宗までこぎつけた。
これは 本人から聞いた話。
4、終戦後、伝道部が再開されたころ、
日本語が不十分な外国出身の宣教師がバスに乗った。
その頃のバスは、
降りる人が運転手に
「○○で降ろして下さい」と声をかけ ねばならなかった。
渋谷のバス停で降りたいと思ったその宣教師は、
運転手に 「シブヤデコロシテクダサイ」と言った。
(先輩から聞いた話)
5、これも終戦後間もなくの頃のこと、
まだ日本語 がよくわからない宣教師が戸別訪問をしてい た。
「ワータクシハ、マーツジーツセーイ ト・・・」。
それを聴いたおじいちゃんが、
ぶ っきらぼうに「わからん」と言った。
そうした ら、宣教師は「ハイ」と言って
家のまわりを1周して、
また「ワータクーシ ハ・・・」とやり始めた。
宣教師は「わからん」 を
「Walk around 」と言われたと思ったのだっ た。
(これも先輩から)
6、来日したばかりの宣教師が、
「グッドモーニン グ」は
日本語で「オハヨウ」だと教えられ、
アメリカのオハイオ州のオハイオと覚え、
実際に 使う時は、
州を間違えて「ケンタッキー」と言っ てしまった。
(これも先輩から)
7、大酒け飲みからの改宗(長崎支部で)
大酒け飲みだった求道者がバプテスマを受けた。
1か月後に支部長が面接をした。
矢野支部長「もうお酒は飲んでいませんよね」
改宗者「ハイ、あんまり飲んでません」? ? ?
私たちの 祝福師である
矢野 信保 兄弟 の 語録集より
お送りしています
3/25 🎼 言えば 私の ⭕️ ⭕️ ⭕️ ⭕️ ⭕️ ⭕️ 💎 ス
23-16= 七 年前 です
速い 早い 疾い はやい もの です 🐈
ぁっと いう間の 小学校を 卒業式を 迎えまする
振り返ると 時も 時すでに 過去のもの 🎼 なりき
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