2021/10/24 17:00:00 日記から
什分の一面接 忘れておられるのだろうか 神殿面接の件
お忙しい中ではあるが
教会からの食糧援助を受け什分の一を払う方が良く
祝福があるとの事
お断りして 再生を自分で行って身に刻むことを伝えた
主の方法に背くことかも知れないが 我が心はそう思った
主の存在は知っている 試練は決して本人が望むことでは無い
何故に与えられた試練を 和らげてはくれないのだろうと言う未練はある
これは全ての人が思うことでは無いのだろうか
境目は何処にあるのだろう
クヨクヨ考えても結論は出ないことに無駄な時間を割く必要はないと思う
私から御霊の導きが遠ざかっているのだろうか
泣くまで待とう子規 👈を追求して見るもよし
東照宮御遺訓
https://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Ieyasu_precepts.jpg
東照宮御遺訓(Tōshō-gū goikun、英:Testament of Ieyasu), は、
家康の遺訓,と伝えられる遺文。
後継者への指針を示したものという 。
歴史
この言葉は将軍退任の際に書き留められたもの。
目撃者には本多正純 (1565–1637)と2人の僧が含まれた 。
原典は、 栃木県日光市にある日光東照宮のアーカイブにある 。
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくか如し
いそくへからず
不自由を常と思へばふそく無し
こころに望み起こらば
困窮したる時を思ひ出すヘし
堪忍ハ無事長久の基
いかりハ敵と思ヘ
勝事はかり知りて負くる事志らされハ害其身にいたる
お乃れを責て人をせむるな
及ばざるハ過ぎたるよりまされり
慶長九年卯月家康
(人の一生は重い荷物を背負って遠い道をゆくようなものである。
急いではならない。
不自由を常と思えば不足もない。
心に望みが起きれば困窮した時を思い出せ。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。
勝つことばかり知り、負けることを知らなければ害がその身にいたる。
おのれを責めて人をせめるな。
及ばざるは過ぎたるよりまさる。)
正岡子規
https://ja.wikipedia.org/wiki/正岡子規
歩行不能になったあとも折々は人力車で外出もしていたが、
1899年(明治32年)夏頃以後は座ることさえ困難になった。
この頃から子規は約3年間ほぼ寝たきりで、
寝返りも打てないほどの苦痛を麻痺剤で和らげながら、
俳句・短歌・随筆を書き続け(一部は口述)、
また病床を訪れた高浜虚子・河東碧梧桐・伊藤左千夫・長塚節ら後進の指導をし続けた。
碧梧桐は、暑さに参る寝たきりの師匠に手動の扇風機を作ったと言われている。
子規は、それを「風板」と名付け喜び、季語にならぬかと考えたとも言われている。
murmur= 呟き
神の目的や計画,
また神の僕に対して不平や不満を言うこと。
民はモーセにつぶやいて言った,
出エ15:23-16:3.
ユダヤ人らは,イエスについてつぶやき始めた,
ヨハ6:41.
レーマンとレムエルは多くのことでつぶやいた,
1ニフ2:11-12 (1ニフ3:31; 17:17).
あなたは見ていないもののことでつぶやいてはならない,
教義25:4.
2023/11/1. 13:15:33
昨日は 糸島参り でした
2023/1~12/累計/km 1 2 3 4 5. 6 7 8 9 10 11 12
3140 210 84 334 193 299 372 430 273 428 517. 0. 0
2022年
3184 301 84. 336. 243 283 222 344 416 256 372 152 175
実車時間 4:30:18
走行距離 75.16 km. 少し近回りでした
爽やか大宇宙のした とても 気持ちいい 走りが
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