日章丸事件
日章丸事件
イギリスの影響下にあった
イランは第二次世界大戦後独立していたものの、
当時世界最大と推定されていたその石油資源は
イギリス資本たる石油メジャー「アングロ・イラニアン社」
(BPの前身)の管理下に置かれ、
イラン国民はもとより政府にも
その利益がほとんど
分配されない状況にあった。
その中で、イランは1951年に石油の国有化を宣言し、
アングロ・イラニアン社の資産を接収する。
反発したイギリスは中東に軍艦を派遣、イランへ石油の買付に来たタンカーは撃沈すると国際社会に表明する。
事実上の経済制裁・禁輸措置を執行するイギリスにイランは態度を硬化させた。
これらはアーバーダーン危機と呼ばれ、戦争が近づきつつある情勢となっていた。
一方、日本は第二次世界大戦後、
イギリスやアメリカなどの連合国による占領を受け、
占領終了後も両国と同盟関係にあるために
独自のルートで石油を自由に輸入することが困難であり、
それが経済発展の足かせとなっていた。
イラン国民の貧窮と日本の経済発展の足かせを憂慮した
出光興産社長の出光佐三は、
イランに対する経済制裁に国際法上の正当性は無いと判断し、
極秘裏に日章丸
(タンカー・同名の船としては二代目)を派遣することを決意。
イギリスとの衝突を恐れる日本政府との対立も憂慮し、
第三国経由でイランに交渉者として
専務の出光計助を1952年に極秘派遣。
出光佐三 と 宗像大社
明治十八年
旧 宗像郡赤間村に誕生
真剣勝負と木剣試合
(出典:『我が六十年間』二巻 592~593頁)
私がよく言ってきかせたことがある。
君らの仕事と私の仕事を、
剣道の試合にたとえてみれば、
若い店員は袋竹刀(ふくろしない)の勝負だ。
いくら叩かれたって、
ああ叩かれた、
くらいで済む。
その次の連中は木剣の試合くらいで、
支店長あたりでも、
木剣で叩かれれば、
血は出るけれども、
命までもとられるようなことはない。
しかし
私は真剣勝負だ。
しくじりをやれば命をとられ、
店はつぶれる。
それだから いつも真剣を抜いてやっておる私と、
仕事の立場上真剣の抜けない支店長、
支配人あたりが会得するものとの間には、
どうしても越すことのできない壁がある。
これはいかんともいたしかたがない、
私以外には味わえないんだから、
それはさよう心得ていよと言って、
よく教育をしたもんだ。
2023/11/20. 19:44:08
植民地 化しても 尚も その地に 残さない
なんと 愚劣な お国柄 💎 楼
当時の ヨーロッパ諸国は
こぞって 右へ倣え
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