浩然の気
合気道の 極めを 目指している 人が 求める モノ
この 気 は 東洋的思想であり
西洋 に は 🈚️
浩然の気
「水が盛んに流れるさま。心などが広くゆったりしているさま。」
「天地の間に満ち満ちている非常に盛んな精気。俗事から解放された屈託のない心境。」
「浩然の気を養う」
『孟子』によれば、その「浩然の氣」というのは、この上なく大きく、この上なく力強く、素直な心で養ってそこなわなければ、天地の間に充満するようなものであるというのです。
努力して努力して力を入れて入れて、それでもどうにもならなくて、一切を放ち忘れたときに、天地の氣に満たされたとでもいうべきでしょう。
横田南嶺
『孟子(もうし)』に見える語。
「我(われ)よく吾(わ)が浩然の気を養う。
その気たるや、至大至剛以(しだいしごうもっ)て直(ちょく)、天地の間(かん)に塞(ふさ)がる」(私は自分の浩然の気をよく養う。
それはもっとも大きくもっとも強く〈至大至剛〉まっすぐで、これを養えば天地の間に充満する)
その後に続けて、この気は義(ぎ)と道(みち)(道義(どうぎ))とに配合するもので、道義がなければ消えてしまう、とある。
猫の妙術
https://www.city.noda.chiba.jp/shisei/1016739/1024119/1024755.html
明治維新に大きな役割を演じた山岡鉄舟の愛読書だったと伝えられている書物です。
『猫の妙術』には「心の中に我があるから敵がある。
我がなければ敵はない」と書かれています。
「心にこだわりがある場合は形にあらわれ、形がある場合は敵あり我ありで相対して争うことになる」「心に何のこだわりもないようでなければ変事に対応することはできない」と重大事への心のあり方を説いています。
渾沌
https://www.engakuji.or.jp/grounds/
お釈迦様は、私も耕していると答えます。
そんな姿を見たことがないというバラモンに、
お釈迦様は
「信は我が蒔く種であり、智慧は我が耕す鋤である。
悪業を制するのは我が除草である。
精進は我が引く牛である」と答えたのでした。
お釈迦様は荒れてしまった私たちの心に
「信じる心」という種を蒔き、
正しい智慧を鋤として耕してくださったのでした。
連載の最初の聖書の言葉は、
「お言葉ですから網を降ろしてみましょう」でありました。
枢機卿は、こう書かれていました。
「イエス・キリストの十二使徒の頭になるシモン・ペトロは漁師でした。
イエスに従う前日、
シモンは夜を徹して漁をしたのですが一匹の魚も網にかかりませんでした。
舟を陸にあげ、
網を洗っているシモンにイエスが掛けた言葉は
「沖に漕ぎ出して網を降ろし、
漁をしなさい」でした。
シモンはプロの漁師です。
イエスは大工の子どもです。
シモンはその時に心の中でどう思ったのでしょう。
でもイエスの言葉を信じて舟を出し、
網がはち切れんばかりの大漁になったのです。
小さな誇りや自負をすてて、
時には人の言葉を素直に受け入れる心が大切なのです。」
と解説されています。
私たちは、
つい「お言葉ですが」
「お言葉ですけれども」と言ってしまいがちですが、
それを
「お言葉ですから」と
素直に受け入れる心が大切なのだと話をしました。
「実にこの世においては、
怨みに報いるに怨みを以てしたならば、
ついに怨みの息むことがない。
怨みを捨ててこそ息む。
これは永遠の真理である。」
という『法句経』の言葉です
「船より水を汲み出しなさい
水を汲み出したら船は軽く進むでしょう。」という『法句経』の言葉です。
貪りや怒りという水が船を重くし、
はては船を沈めてしまいます。
貪りや怒りに気づいて、
それから離れるようにすれば軽く船は進むのです。
前田神父は、
「「舌を制御できる人は一人もいません。
舌は、疲れを知らない悪で、
死をもたらす毒に満ちています。」
(「ヤコブの手紙三一八」より)というものです。
人の力だけでは舌を制御することは出来ませんが、
神さまの心を持てば出来ると思います。
「思いやりの心」です。
それは、
「おはよう、
ありがとう、
しつれいしました、
すみません」の
「オアシス運動」の心でもあります。」
鎌倉円覚寺 地図
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18の夏
https://www.google.com/maps/place/35°18'32.1"N+139°32'45.3"E/@35.308908,139.5440967,646m/data=!3m2!1e3!4b1!4m4!3m3!8m2!3d35.308908!4d139.545911?entry=ttu
https://www.google.com/maps/place/35°18'31.9"N+139°32'38.1"E/@35.308851,139.5413377,919m/data=!3m2!1e3!4b1!4m4!3m3!8m2!3d35.308851!4d139.543918?entry=ttu
18// 夏 同じ部屋の 鴨川くんと
この橋の 欄干に乗って 戯れ
夏// この 由比ヶ浜で 泳ぎ
浜で 海の中での 花火を 見
懐かしの 思い出を 垣間見
小さな 青春を たのしみ
空
https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000qvz.html
たとえばサッカーボールは、外面的に膨らんでいても、内面的には空(から)の状態である。
数字のゼロも、その原語は「シューニャ」である。
ゼロは、+(プラス)、-(マイナス)両方になる可能性をもつ。
我々人間という個的存在も、肉体、精神の諸要素から成る点では「膨らんだもの」であるが、一方、芯となる自己の本質、我(が)を見出せない点からすれば「うつろな、非実体的存在」である。
禅者は、その「空」を象徴的に円で表現するが、単に、非存在、空白だけを意味すると誤解してはならぬ。
https://www.chichi.co.jp/web/20220116_imakita_kohsen/
「分からなくていいんだ。分からない、難しい、そう思うことが大切だ」と。
1つは「百萬の典経 日下の燈」、
知識は大事だけど、
実践の伴わない知識は何にもならない。
もう1つは「朽木糞牆(きゅうぼくふんしょう)」です。
朽ちた木では彫刻はできず、
腐った壁では塗り替えはできない。
そういう人間になってはいけないということを子供ながらに学びましたね。
山岡鉄舟
https://www.touken-world.jp/history/history-important-word/yamaoka-tesshu/
どの陣営に属するかに関係なく、
将来を案じ自分達の力で日本を良くしようとする高い志を持つ人々が、
「志士」(しし)と呼ばれました。
紀昌 //弓
https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/620_14533.htm
2023/10/19. 20:26:35
イエス・キリスト
悔い改め
Baptism
聖霊の賜物
イエス・キリストを信じる信仰は福音の第一の原則です。
信仰は霊的な賜たま物ものであり,救いに欠くことができません。
ベニヤミン王は次のように宣言しています。
「悔い改めて,
主イエス・キリストを信じるのでなければ,
……決して救いは与えられない……。」
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