富士山噴火
宝永四年(1707年)富士山噴火の概要と活動経過
火 山噴 火 予知 連 絡 会 富 士山 ワ ー キン グ グ ル ー プ
火 山噴火予知連絡会富士山ワーキンググループでは、
宝永四年(1707年)の富士山の噴火(以下、宝永噴火という)に ついて、
古文書等歴史資料、地質調査等の最近の研究成果をもとに、
噴火活動の経過を検討し、以下のとおりとりまとめた。
噴火の概要
・1707年(宝永四年)12月16 日(新暦、以下同様)10 ~12時、山頂の南東側の斜面に新しい火口(宝永火口)を開き、噴火を開始 した。
・一連の噴火活動により、
山頂の南東側の斜面に北西一南東方向に連なる3つの火口(宝永第1、第2、第3火口)と
宝永山を形成した。
・噴火の場所は、宝永第2 ・第3火口から第1火口へと南東から北西山頂方向に移動した。
・噴火の様式はプリニー式噴火で、大量の軽石・スコリア・火山灰等を放出した。
・噴火の始めは軽石噴火であったが、16日の夕方頃からマグマの成分が変化し、
スコリア噴火に移行した。
噴出物は、 全て、軽石・スコリア・火山灰等の降下火砕物として放出された。
・噴火の激しさ(噴出率)は、噴火初日(12月16日)から翌朝までが最大であった。
以後は、何度かの小康状態をはさみつつ噴火を繰り返したが、
25日夕方までの平均的な噴出率は噴火開始当初の約1/ 7程度にとどまった。
25日夕方以 降に専び噴火が活発化し、
27 日までの噴出率は噴火開始当初の4割ほどに達した。
31 日夜から1月1日未明にかけて、
数度の爆発があり火山弾を飛散させた後に、一連の噴火が終息した。
・噴出物の総量は約0.7km”(溶岩換算)に達した。
総噴出量のうち約4分の1が最初の1 日間に噴出した。
・火口から放出された火山灰は、東に向かう分布軸をもって分布し、
関東平野を越えて海にまで達した。
火山灰は上空の西風で拡散された。噴煙は成層圏にまで達した。
・溶岩流は発生しなかった。
火砕流は、史料および地質調査による限り、なかった。
・ 噴 火 の 前 兆 現 象 と し て 動 や 有 感 地 態 が あ った 。
活動経過 宝永噴火活動の経過を表1にまとめて示す。
ここに 表示できないので
https://www.icloud.com/iclouddrive/050kFsnRA4Y6HL1EvUsA3VsLw
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富士山噴火はいつ起きてもおかしくない|
予測される被害と対策
2022/07/25 IT小ネタ帳編集室
2023/10/3. 21:54:44
吉野 敏明 さんの 小まねを してみた
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